瀛津島神社


“瀛津島神社額面”   元明天皇の勅使のもとで和銅5年(西暦712年)、藤原鎌足の子、右大臣淡海公藤原不比等により、社殿が創立されました。
 その起源は舒明天皇(じょうめい)にあると言われます。
 
“瀛津島神社 社殿” 神巧皇后(じんぐこうごう)が福岡県から百済に行く時に、海が大荒れで出航できず、筑前宗像神社に祈願されて無事に凱旋された事から、藤原不比等も宗像神社と同じように、この淡海で同じような一直線で結ばれた沖島に社殿を創立させ、航海の安全と五穀豊穣、水火の避難を祈願する祭りが催されました。その祭りは千三百有余年間過ぎた今も、途切れなく春と秋に盛大に奉納され、また月例際も行われています。
“瀛津島神社 社殿”
 奥津島(瀛津島)神社を真ん中にして、一線上に並ぶのは“白髪神社”と“日牟礼神社”です。
 湖西に鎮座する白髪神社(祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)) の鳥居は、湖中に建てられていますが、神額が両面に揚げられており、その形態は他に例を見ません。よって白髪神社を拝する場合は、湖上から遥拝することになりますが、陸地から拝するのは、鳥居が真正面に位置する沖島です。 
 奥津島(瀛津島)神社の境内に社歴由緒の木製の碑が建立されています。その中には、紫式部が詠んだ歌が記されています。 “境内の木製の碑” 
 “おいつしま 守りの神やいますらん
波もさわがぬわらわえの浦” 
紫式部
 沖島の歴史の古さを物語るひとつです。
 そして、奥津島(瀛津島)神社は今から二百五十年前に再建されてその間、何度が修復されてきましたが、老朽化してきたため、氏子の念願で神殿が平成十五年十一月に造営奉納されました。 

《参考文献
 ・ 「沖島物語」 西居正吉 著

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